歴史小説を読み始めたのは、中学生頃だったと思う。
小学生から家族で一人だけ時代劇を見ていたし、大河ドラマ「独眼竜正宗」をみて衝撃が覚え、以降、戦国時代から抜けられてない気がする。
戦国時代の本は読み続けているのだが、自分が好む読み方は、ある特定人物に興味を持つと、いろんな作家が書いている本を探して読む。その中で印象に残った武将の本を探して読む、という感じだ。
どの立場を軸に組み立てているかで、同じ人物がまったく違う印象に書かれるし、同じエピソードでも違う視点で捉えていることが多い。書かれた時代でも異なる傾向があるのは、研究の成果のようだ。歴史は解釈により変わる。
代表的な例は、石田光成だと思う。小学生の時に歴史で学んだ石田三成は、どちらかというと悪者キャラだった。最近の小説では評価しているモノが多いと思う。有名人で一番イメージが捉えづらいのは徳川家康だと思う。律儀だったり腹黒かったり、温厚だったり威圧的だったり、我慢強かったり強引だったり、さまざまな描かれ方をする。
これは、政権をとった人物に都合の良いようにエピソードをあつらえるからであろう。中国は権力者がアンチ勢力の書物を捨ててしまう、というのはよく聞くが、日本も似たような状況だと思う。
一般的に知られている人物は、本来どんなヒトだったんだろう?と自分なりに想像するのが好きだ。仮説を組み立てるには情報は多角的で多い方がやりがいがある。
歴史の情報は、小説から得ることがほとんどであるが、歴史の本は大きく2分される。ひとつは登場人物に人格を与えて、物語として展開していく手法。もう一つは、年表のように事実を淡々と紹介する手法だ。
戦後の小説は、後者が多かったのではと思う。その人物の行為を読んでいくことで、自分なりに人物像を作られていく。余計な演出がなく、ある日、○○をしました、次に△△をしました、「×××」と言いました、など、どんどん物語は進行していく。エピソードが多少スキップしても気にしない。
人格を与えるパターンは、作者が、事象の中から人実像を想像し、演出を加えたモノである。猪突猛進キャラだったり、賢そうだったり、人間味を出しているので、読んでいて感情移入がしやすい。最近の歴史小説はこちらの傾向が多いと思う。
自分としては、どちらもアリだ。特定の登場人物について選択が出来るほど、本が出てないことが多いので、題名で選んで読んでいくうちに、小説の立ち位置を分類する。よいパターンとしては、キャラものを読んで好きになり、エピソードをつなげて自分なりの世界観を組み立てることだと思う。